2023年10月18日
eternalturquoiseblueさんより転載
https://ameblo.jp/ymhkobayasis/entry-12824583892.html
日本では終戦記念日を、昭和天皇が「ポツダム宣言受諾」(8月10日)を国民に「玉音放送」で宣明された8月15日としていますが、連合軍の英、米、仏、カナダは、日本が東京湾沖のミズーリ艦上で「降伏文書調印」した9月2日を「対日戦勝記念日」、第二次世界の終戦の日としています(因みにロシアは後に9月2日から祝典を行った9月3日に変更している)
そして、実は8月15日以降にも、旧日本軍は戦っています。
1945年(昭和20年)8月18日~21日、千島列島東端の島でソ連労農赤軍(注)と大日本帝国陸軍との間で「占守島の戦」という戦闘が行われています。
「軍命により8月21日に日本軍が降伏して完全に停戦が成立し、23日に日本軍は武装解除されている」
従って、ソ連軍による北方領土四島への上陸は無血によって行われ、「このとき捕虜となった日本兵はその後多くがポツダム宣言の趣旨に反する形で連行され、シベリアへ抑留された」とあります。
こうした史実が一部の日本人のロシアへの悪感情の根底にあることも事実のようです。(「ロシア革命」によって建設されたソ連とロシアとは国家の概念からして全く別物の国家なのですが)
歴史の教科書には記述がありませんが、ソ連の「北方領土」上陸作戦は、実は米ソの極秘作戦で決行されたものであったようで、米軍が作戦面でかなり大きく関与していたようです。
今年の4月に英軍事週刊誌「ジェーンズ・ディフェンス・ウィークリー」前東京特派員の高橋浩祐氏によって書かれた記事を引用してご紹介します。
ワシントンにある米軍歴史遺産司令部(米海軍歴史センター)から「Project Hula: Secret Soviet-American Cooperation in the War Against Japan」(仮訳、プロジェクト・フラ: 対日戦争での米ソの秘密協力)との題名で本が出版されている。
それによると、1945年8月9日にソ連が満ソ国境を越えて北方領土に上陸したのは、実は米ソの合同作戦(作戦名:「プロジェクト・フラ」)に基づいて行われたものだった。
日本国内ではこの「プロジェクト・フラ」の具体的な史実について、戦後70年となった2015年頃から「北方領土遺産発掘・継承事業」に取り組んできた根室振興局北方領土対策課の手によって判明し、地元の「北海道新聞」は同課の調査結果をもとに2017年12月30日付の朝刊1面のトップ記事で大きく報じた。
高橋浩祐氏も2018年11月2日のTOKYO MXテレビ「モーニングCROSS」で紹介するも「何故か」全国紙では全く報じなかったのだそうです。
これは当然ならがら、現在の日米関係からしても、米国側にとっては大々的に報じられたくない史実だったようです。
これは当然ならがら、現在の日米関係からしても、米国側にとっては大々的に報じられたくない史実だったようです。
ヤルタ会談(1945年2月)当時:左からチャーチル(英首相)、ルーズベルト(米大統領)、スターリン(ソ連書記長)
■ヤルタ会談でソ連の対日参戦と「プロジェクト・フラ作戦」を合意
「日ソ中立条約」(注)を破棄して対日参戦することのみならず、具体的に「プロジェクト・フラ作戦」も実は、1945年2月にクリミア半島で行われた米英ソ3か国の首脳会談である「ヤルタ会談」の中で約束されたものだったようです。
ソ連が1941年4月に締結した日ソ中立条約を破棄して対日参戦する見返りに、日本領だった千島列島と南樺太をソ連に引き渡すことで合意。
米国は1941年12月の日米開戦直後から、ソ連に対し、対日参戦を再三申し入れ、米軍機が日本を爆撃できるようにシベリアでの基地提供も求めていた。
米国はヤルタ会談当時、原子力爆弾を秘密裏に開発していたが、完成のメドはなかなか立たない。
日本との本土決戦で米国人犠牲者をできるだけ少なくするためにも、ソ連を対日戦争に引きずり込む必要があったのである。
■「プロジェクト・フラ作戦」
具体的には昭和20年の4月~7月まで、アラスカ半島の先端のコールドベイにある米軍兵1500人が常駐する米軍基地で、ソ連軍から集めた1万2000人の将兵に対し、船舶輸送やレーダー、無線通信、ソナー、エンジニアリング、機雷除去などの習熟訓練の指導を米軍が行ったのだそうです。
ソ連にはその当時上陸用舟艇がなく、日本陸軍はソ連の北海道への上陸を心配していなかったそうなのですが、作戦実行のために米軍は艦船を百隻以上をソ連軍に貸与し、それに乗ってソ連軍が北方領土や千島列島に上陸して攻撃をしかけてきた、というものだった。
当初の計画では、米軍はこの作戦のために1945年11月までに180隻をソ連に貸与することを考えており、掃海艇55隻、上陸用舟艇30隻、フリゲート艦28隻、駆潜艇32隻など計149隻の艦船がソ連に無償貸与され、その内の11隻を含む18隻(輸送船を含む)が北方領土上陸作戦に使用され、米国からの貸与艦船は、ソ連海軍によって千島列島のほか、南樺太や朝鮮半島北部の上陸作戦にも使われた。
■「ヤルタ密約」によるソ連の対日参戦の情報は事前に大本営参謀部に報告されながら、握りつぶされていた
岡部伸氏の著書「消えたヤルタ密約緊急電―情報士官・小野寺信の孤独な戦い」によれば、日本帝国陸軍のストックホルム駐在武官だった小野寺信少将はヤルタ会談直後の1945年2月半ばに米ソの「ヤルタ密約」を入手、ソ連の対日参戦の極秘情報を東京の大本営参謀本部に公電で報告していた。
しかし、この日本の国家の命運を左右する第1級の情報は、ソ連に和平仲介を期待する勢力によって「不都合な真実」として握りつぶされた。
岡部氏は、このヤルタ電抹殺に、大本営作戦課の参謀だった瀬島龍三氏が深く関わっていた可能性を指摘している。
岡部氏は著書で「ソ連への傾斜を打切り、もっと早い段階で米英との和平に応じる決断に至ることも十分可能だった。刃を向けて来るソ連を頼った終戦までの半年間を、日本は無為に過ごしたとも言えるだろう」と指摘。
ただし、この超一流のインテリジェンス・オフィサーだった小野寺氏でさえも当時はプロジェクト・フラの存在をつかんではいなかったとみられる。
実は米国が軍事支援したソ連の北方4島占領 米ソの極秘作戦「プロジェクト・フラ」開始から今日で78年(高橋浩祐) - エキスパート - Yahoo!ニュース
参考動画:
https://youtu.be/X7KNpGR0DJ8?list=PLU_xxVlhKz1f2vZFrL3vdu8iEEHJFc7qF
■北方領土が現在でも日本固有の領土であるとされている根拠
外務省のHPによると、第二次世界大戦より以前の①日魯通好条約(1855年)②樺太千島交換条約(1875年)③ポーツマス条約(1905年)により、北方4島は「暴力及び貪欲により日本国が略取した地域」でないことは明らかです。
そして、第二次世界大戦における連合国側の指導原則として⑤大西洋憲章(1941年8月)に米英両首脳が署名し「戦争によって領土の拡張は求めない方針」を明らかにしており、ソ連も同年9月にこの憲章へ参加を表明。
⑥カイロ宣言(1943年11月)では「大西洋憲章」の方針を確認しつつ「暴力及び貪欲により日本国が略取した地域から日本は追い出されなければならない」としたが、北方4島は「暴力及び貪欲により日本国が略取した地域」でない。
⑦ポツダム宣言(1945年8月受諾)「1943年のカイロ宣言の条項は履行されなければならない旨、また、日本の主権が本州、北海道、九州及び四国並びに連合国の決定する諸島に限定される旨規定」
⑧当時まだ有効であった「日ソ中立条約」(注)を無視して1945年8月9日に対日参戦したソ連は、日本のポツダム宣言受諾後も攻撃を続け、同8月28日から遅くとも9月5日までの間に、北方四島を占領。
日本軍は21日に軍命で戦闘を中止しており、これら四島の占領の際には日本軍は抵抗せず、占領は完全に無血で行われたようです。
北方領土四島上陸まで
北方領土問題に関するQ&A|外務省 (mofa.go.jp)
(注)日ソ中立条約(1941年4月)
同条約の有効期限は5年間(1946年4月まで有効)。なお、期間満了の1年前に破棄を通告しなければ5年間自動的に延長されることを規定しており、ソ連は、1945年4月に同条約を延長しない旨通告。
⑨サンフランシスコ平和条約(1951年9月)
日本は、サンフランシスコ平和条約により、ポーツマス条約で獲得した樺太の一部と千島列島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄。しかし、そもそも北方四島は千島列島の中に含まれない。
この条約を批准した連合国は日本国の主権を承認。国際法上、この条約により日本と多くの連合国との間の「戦争状態」が終結した。
CIAコードネームをもつ協力者「エージェント」でもあった当時の吉田茂首相は「単独講和論」といって、米英など西側諸国とのみ講和条約を結び、連合国軍による占領終了後も在日米軍の日本駐留を認める立場であった。
実際には52ヶ国が講和条約に参加しており、そのため多数講和または部分講和であったといわれるが、ソ連は会議に出席したが、連合国軍による占領終了後における米軍の駐留継続に反対する姿勢から条約に署名しなかった。
歴史的経緯に鑑みて、北方領土4島は第二次世界大戦前から日本の固有の領土であり、ソ連(現在はロシア)による北方領土占領は国際法上「不法占拠」です。(2022年外務省は外交青書に19年ぶりに明記)
しかしながら、戦後も在日米軍が日本に一貫して駐留し続けるで、「ソ連が北から攻めてくるぞ」という潜在的な恐怖心を日本人の心に植え込む効果と、この不法占拠によって日ソが平和条約を締結出来ず、様々な相互の協力が出来なくなるという二つの意味において、ソ連(現在はロシア)による「北方領土不法占拠」の真の受益者は米国であり、最初からそれは仕組まれたシナリオだったようです。
1945 予定された敗戦: ソ連進攻と冷戦の到来
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